あの人が日本に一時帰国する、という情報がまわると、お土産とは別にコレコレを買ってきてほしいと頼まれることがある。
これは厄介なことには違いなく、まず日本から大量に持ってくるはずの物資が依頼物によってトランクに入りきらなくなる可能性がある。
私個人でいえばたいていは引き受けてきたが、一度スニーカーを頼まれた際には断った。スニーカーはあんまりだ。
それからナイフを頼まれた際にも断った。それほど場所を取らないし空港でも受託手荷物に入れれば良いのだが、ナイフの知識がゼロの私に対し、
「とにかく日本のナイフが欲しいんだ。理由は言えない。君に任せるから好きなものを買ってきてくれ」
と若干不穏な空気を滲ませつつ丸投げされ、困惑したからだ。知識がゼロの分野で何かものを選ぶという行為は、結構な時間を喰ってしまう。お土産以外のものを引き受ける時には、トランクの場所を取りづらい品で、選んだり探したりする必要がなく、なんなら型番まできっちり指定されたものがベストなのだ。
ある時この頼まれものが、友人の上司から来たことがあった。一度も面識がない。
それでむしろ興味が湧いた。40代。読書家。オペラとピアノ音楽愛好家だという文化的素養豊かな彼が、部下の日本人の友人が一時帰国をすると知り「倍の値段を払うから」とわざわざ依頼してくるものは何なのか。
それが紙の専門商社株式会社竹尾のオリジナルブランド“ドレスコ”のペーパーノートブック「なすこん」であった。
不勉強で恐縮なのだが、私はこの時に依頼されるまで、このブランドのことをいっさい知らなかった。彼は面識のない私にわざわざ依頼するくらいなので、パートナーは日本人ではないし、日本人の友人も周りにいないのだろう。日本好きのフランス人から教わるものは多い。でも日本にほとんど縁がない人から教えてもらうかたちになった自国ブランドのノートブック、この出合いは不思議だと思った。
彼はきちんとウェブサイトの商品ページURLまで張り付けて依頼してくれたので探す必要もなく、私はただ頼まれたものをポチッとするだけだった。そして届くと包装ビニール越しにまじまじと眺めてみた。青みがかった茄子色の和紙でできた、しっかりした表紙。サイズは公式サイトに「128×214×7mm」とあり、ポケットによっては縦半分ほどすっぽり納まりそうである。
眺めているうちにどうしても自分で使ってみたくなり、私は最も惹かれた色味の「やなぎ」を追加で注文した。これもまた美しい表紙で気に入った。
その後、友人の上司である彼からは私が帰国するたびに同じノートブックの「なすこん」を依頼されるようになった。ほかにもいろんな色があるのに必ず「なすこん」である。きっと自分の持ち物には相当こだわりがあるにちがいない。私はそういう、厳選した物を愛し、ほかは受け入れないという頑なさが好きだった。
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そうしたある日、また直接の知り合いではない別の人物から“ドレスコ”ペーパーノートブックを依頼された。なんと「なすこん」であった。
もちろん、ふたりは知り合いに違いないだろうと思った。そして私は「なすこん」の運び屋となることを承諾した。
しかし、そのふたり目の彼とは一度友人宅で食事をする機会があり、聞いてみると、ふたりはまったく知り合いではないようだった。ふたりの、知り合いではないフランス人が同じノートを、この世に数多とあるノートのなかからドレスコの「なすこん」を知り愛用する確率はどれほどだろうか?
ふたりの共通点は、どちらも読書家で、大手テック企業の管理職というところだった。この食事を共にした彼については、仕事中いつもポケットにノートを入れてしょっちゅう何かを書き留めており、「なすこん」はギリギリポケットに入るし、美しいし、立ったままでも書きやすいのでとても気に入っていると話してくれた。私は単純なので、仕事のできる人ほどミニマリストで、小さいメモ帳のようなものかデジタルのノートだけで済ますものと考えてしまうのだけど、こちらで出会う管理職、特にテック企業の管理職にはちょっと大きめの紙のノートブックを使っている人が多い印象だ。
そして肝心の「どうやってこのノートブックと出合ったのか」という質問には、「出張でこちらにきたウクライナ人にもらって、気に入った」ということだった。
これはまた謎が深まるばかりだ。
ではそのウクライナ人はいったいどうやって「なすこん」と出合ったのか。いずれにせよ、その人がパリで「なすこん」の布教に努めている張本人という可能性はある。以前、自分の愛読書であるレイ・ブラッドベリの『火星年代記』を何冊も買い、出会う人出会う人に配って歩くという酔狂な人がいたが、その人も自分が好きなものを自分だけのものにせず、出会う人すべてに配りたいタイプの人なのかもしれない。
当然の成り行きとして、私は「なすこん」も購入し、見事にリピーターとなった。「やなぎ」も素敵なノートブックだが「なすこん」とは書き心地が違い、どうやら同じペーパーノートブックでも紙自体が違うもののようだ。ウェブサイトに「なすこん」は「多くの万年筆にも対応」と書いてあり、その辺も「なすこん」がヨーロッパ人に愛用される理由だと思う。パリで買える安いボールペンは日本の100円で買えるようなすばらしく滑らかな書き心地をしていない。買ったけれどインクが出ず一文字も書けないということもあり、それはもしかして、万年筆の需要をつぶさないためなのだろうかと思うことさえある。
使い始めたころは持ち歩くのに少し大きいかと思ったサイズも、いまではこれがベストだと思う。お値段は1450円(税抜き)。最初は少し高いかなと思ったけれど、フランスの文房具事情を鑑みてみれば破格のコストパフォーマンスだといえる。
こうして、株式会社竹尾の“ドレスコ”ペーパーノートブックはウクライナからパリを経由して、ひとりの日本人である私にまで逆輸入されたのである。
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