司法書士として、これまで2500件以上の賃貸トラブルに立ち会ってきましたが、そのなかでも意外と多いのが、突然の立ち退きに関する問題です。
いきなり家主側から、現在、借りて住んでいる賃貸物件を「退去してください」と言われたら、あなたはどうしますか?
家賃もきちんと払っているし、特に揉め事があるわけでもない、借りる期間があらかじめ決められている『定期建物賃貸借契約』でもありません。
では、いったいどういったケースで、予期せぬ退去を求められることがあるのでしょうか。
「借りている物件に住む権利」は法律で守られている
家主側から賃借人に解約を申し入れることができる条件について、民法の借地借家法では、以下の2点が定められています。
① 6か月前の告知が必要
② 借地借家法上の正当事由がなければ解約することができない
この①と②は強行規定(当事者間の合意を問わず適用される規定)ですので、個別の理由に関係なく守らなくてはいけません。つまり基本的には、賃借人がきちんと家賃を払っている場合、借りている物件に住む権利というものは、非常に強く法律で守られているのです。
では②の「正当事由」とは、具体的にどのようなことがあるのでしょうか?
例えば、
・物件の老朽化が激しく、隣接地との兼ね合いから補修も難しい
・家主の介護のためにどうしても物件を使用せざるを得ない
などが挙げられますが、司法書士の立場で現場を見てきたなかでは、なかなか裁判所では認められない、というのが実際のところです。
そこで、「立退料」の問題が発生します。
立退料はたくさんもらえるのか
居住用賃貸物件の立退料は、どの程度の額が相場なのでしょうか。
例えば、よくあるケースとして、「古い建物で補強が難しく、取り壊さざるを得ない」ために立ち退きを要求された場合で考えてみます。
まず、店舗やオフィスではなく、居住用物件の場合は、現在ではそれほど高額にはなりません。
これは、現在では居住用の賃貸物件の空室率は高くなり、転居をする際に、引っ越し先の物件も十分にあることが理由です。
中には高額な立退料をもらえると勘違いしている方もいますが、そもそも賃貸物件の数自体が少なく、引っ越しすることが大変だった時代とは状況が違うのです。
とは言え、実際に転居することになれば、それなりに費用もかかることから、一般的には引っ越し代金の実費と、転居にかかる初期費用(仲介手数料、敷金、礼金等)が、立退料として請求できる金額の目安になります。
立退料を交渉するときのポイントは?
実際に私が立ち会った立ち退きの案件です。
家賃12万円のテラスハウス(2階建ての連棟式住宅)2軒であった立ち退きのケースで、2軒のうち1軒は転居にかかる実費分の立退料をもらうことでスムーズに退去完了されました。ところが、もう1軒の方の賃借人が弁護士に相談し、代理人経由で1000万円を要求してきたのです。
先に述べたとおり、一般的には転居にかかる実費と初期費用くらいが相場。1000万円はあまりにも法外です。家主側も顧問弁護士が対応しましたが、双方の主張が折り合うことはなく、出口の見えない泥沼に。最終的には家主側が「そんなことを言うなら、そのまま住み続けてください」ということで、立ち退き交渉は不調に終わりました。
ところがその2年後、住み続けていたその賃借人が家賃を滞納し始めたのです。
そこで家主側の依頼を受けて、私が明渡の訴訟の手続きを行うことに。
実際に手続きに入ってみると、コロナ禍で収入が大幅に減ってしまったために家賃が払えなくなったとのこと。しかも、2年前の立ち退き交渉の際に、1000万円を請求したのは、この賃借人自身の依頼ではなく代理人の勝手な行動だったようです。
結局、その賃借人は、1円も転居費用をもらえずに退去していくことになってしまいました。
このケースからも、家主側と立退料を交渉する際には、いくら突然の申し出であったとしても、それに乗じて法外な金額を請求することはやめておいたほうがいいでしょう。
交渉で折り合いがつかず、仮に訴訟手続きになったとしても、金額が大幅に上がることはなく、先の例のように、立ち退き交渉自体が終了してしまう可能性もあります。さらに、「法外な請求を行った」「しつこくゴネた」という情報は不動産業界ではすぐに広まるものです。「あの賃借人を入居させたら立ち退き交渉の際に大変だ」と、次の転居先が見つかりにくくなってしまいかねません。
いずれにしてもいつかは転居することを考えると、実費として妥当な金額をもらってスムーズに転居するほうがいいでしょう。
また、立ち退き交渉が始まった物件に何軒も入居者がいる場合、一般的に家主側は立ち退きにかかる全体の費用についてあらかじめ予算を組んでいます。
総予算が決まっている以上、入居者のなかで早い段階に交渉することをおすすめします。
予算に余裕があれば、通常の引っ越し代金と初期費用に加えて、プラスアルファの費用を請求しても支払われる可能性が高まります。
でも、その場合でも、根拠の無い高額の費用を請求するのではなく、「転居先のカーテンの寸法が違うので、買い替える費用として○○円が必要」と具体的な理由と金額を示して交渉をしましょう。
一方で、家主側が法律を知らずに、『自分の孫に住まわせたい』などの自己都合で退去を促してくるケースもあります。
このような場合には、先述のとおり、法的には応じる必要はありません。ただ、もし少しでも転居してもいいと思っている場合には、感情的にならず、あくまでも冷静に「今回の理由では正当事由にはならないと思うのですが、その辺りについてはどうお考えですか?」と、相手方の立退料に対する考えを聞いてみることから交渉を始めてみるのが良いと思います。
突然の退去を避けるには
ここまで見てきたように、家主側から退去を申し出る場合、物件の老朽化がその理由になるケースが多くあります。
残念ながらどんな物件にも寿命があります。引っ越しの際に、もしその土地や物件になるべく長く住み続けたいと思うのであれば、家賃や間取り、駅からの距離などの条件面と合わせて、建物の築年数もしっかりと見極めたほうがいいでしょう。特に高齢者の場合、歳を重ねるごとに、年々新規で賃貸契約を結ぶことが難しくなる現状があります。せっかく借りられたと思ったのに、物件の老朽化により突然退去を強いられてしまうと、次の物件を探すハードルは上がるので避けたいところです。
リノベーションされていて、外観では築年数が分かりにくい物件もあります。数ある物件候補のなかから検索をかける際には、自分が住み続けたい年数をある程度予測して、借りたい築年数を割り出してみることをおすすめします。
賃貸物件はあくまでも家主の所有物件です。家主側には、安全に賃借人に住んでもらう義務があります。
古い建物の場合、万が一、地震等で倒壊してしまえば、家主側は所有者責任を負わされます。したがって、そうなる前に、物件の寿命を見極め、建物を取り壊さざるを得ない時期がきてしまうのです。
賃借人側も、そのことを理解しておくことが大切だと思います。