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父から離れる旅の終着駅は父。矢部太郎が吐露する思い

書かれた 沿って notbook

漫画「大家さんと僕」で手塚治虫文化賞短編賞を受賞し、芸人のみならず漫画家としても注目を集める矢部太郎さん(43)。父で絵本作家のやべみつのりさんとのエピソードを描いた漫画「ぼくのお父さん」(新潮社)は17日の発売日前から予約注文が殺到し、早くも重版が決定。奇しくも、父親と同じような道を歩むことになりましたが、そこに至るスタートラインは「お父さんから離れる旅」だったと言います。

「大家さんと僕」と同じ編集チームの皆さんから2019年の秋ごろに「何かまたどうですか」とお話をいただいたんです。

その頃は、芸人の先輩の方々からシャレで「次はオレのこと書いてよ!」と言われたりするノリもあって、そんな中、お父さんからも「次はお父さんとの話を書いたらいいよね」と言われてたんです。

そんな話をサラッと編集の方にしたら、興味を持ってくださいまして。そこから始まっていったという感じでした。

今回の作品では僕が生まれてから小学校に入る前あたりのことを書いています。なので、記憶がはっきりしないところもありますし、描くにあたって「参考になるかもしれないから」とお父さんがつけていた絵日記を送ってきてくれたんです。

“たろうノート”といって、僕の成長がお父さんの絵で綴られているんですけど、それを今の年齢になって見てみると、いろいろなことを感じました。

当然、当時の僕はお父さんをお父さんとして見ていたんですけど、お父さんとしてだけじゃなく、一人の人間として迷いながら、そして、愛情を持って子育てをしてくれていたんだということが分かりました。

お父さん以外のお父さんもたくさん見えるし、当たり前なんですけど、お父さんじゃないお父さんとしての部分も持ちながら生活していたのも、よく分かりました。

お父さんは記録魔なところがあって、家族でご飯を食べていても、いつもと違う珍しいおかずがあったら「ちょっと待って」と言って、まずおかずの絵を描いてから家族がご飯を食べるという感じでした。その間に、せっかくお母さんが作ってくれたおかずが冷めていくんですけど、それでも絵に残すようなお父さんでした。

そういう性分もあるので、そこには僕の姿が描かれてはいるんですけど、よくよく見ると、それはお父さん自身の日記でもあって、その時のお父さんの気持ちが絵にも表れているんです。絵が明るかったり、暗かったり。それで伝わってくるものもありました。

今回、漫画を描く中で、改めて小さな頃を思い出したりもしていたんですけど、お父さんから「こうしなさい」と言われたことはなかったんですよね。逆に「好きなことをしなさい」とは言われていました。

お父さんは絵本作品を自宅で描いていたので、小さな頃は僕もその横で絵を描いたりしていました。なので、子どもの頃の文集には「絵描きになりたい」と書いていたんです。

結果、今はそんなお仕事もするようになったんですけど、実は、途中までは「お父さんみたいになったらダメだ」という気持ちが強かったんです。

 父から離れる旅の終着駅は父。矢部太郎が吐露する思い

お父さんがよく言っていたことに「結果よりも、過程を楽しむことを大切にしなさい」ということがあったんですけど、実際、お父さんはそこを楽しみすぎていて(笑)、なかなか作品を作らなかったり、家族も含め周りの人が困っていたところもあったんです。

だから、僕の中ではだんだん「お父さんみたいになったらダメだ」という気持ちが強くなっていって、学生時代は“お父さんから離れる旅”でもあったんです。勉強して大学(東京学芸大学)に入ったのもそうですし、お笑いに進んだのも、お父さんみたいにはならない。少しでも離れた仕事をという思いからだったんです。

でも、過程を楽しむというのは、僕がお笑いの世界に入ってからも感じることがありましたし、絵を描く時にもう一つ言われていた「うまい絵が一番面白くない」という言葉も、心の奥底には響いていたのかもしれませんね。

とにかく正確で、実物と同じような絵を描くのならば写真と同じ。それをやると、いきつくところ写真が一番良いことになる。なので、物を作るのなら、そこに自分という存在が入っていないと面白くない。もし何かを作るのなら、そういうものを作ってほしいと。

そして、お父さんという存在から離れるために、違う人間になるために芸人になった僕が、結局、お父さんと同じところに着いたというか、漫画を出すことになった。その時は、すごく喜んでくれました。

僕の漫画を勝手にコピーしてホチキスで止めて周りの人に配ったり(笑)。お笑いの時には、そこまで周りの人に出力高くアピールはしてなかったんですけど、漫画の時は本当に喜んでくれましたね。

コピーからのホチキスだけでなく、実物の本もたくさん買ってくれました。自分の講演会でも僕の本を置いて売ってくれたりもして、吉本以上の手厚いサポートで(笑)。

何をしたら親孝行になるのか。そうですねぇ…。今回の本を描けたことは、もしかしたら、それになっているのかなと思います。

面と向かっては言えない恥ずかしい部分や、感謝も、そしてクレームも(笑)、僕が思っていることは全部描きましたから。それをまだお父さんが元気なうちに出せたこと。読んでもらうことができたこと。それがそれにあたるんでしょうかね。

あと、今は新型コロナ禍でなかなかできないんですけど、お父さんは子供向けに紙芝居とかのワークショップもやってまして。そこでは「大家さんと僕」に便乗して「紙芝居と僕」というタイトルのものを作ってやっているんです。

そのゲストに呼ばれることもあったんですけど、それに呼ばれた時は全て受ける。それも親孝行かなとは思っています。

息子のフォーマットなので、お父さんも何の躊躇もなくパクッてますけど(笑)、ま、僕もお父さんの作品ですからね。作品の作品ですから。そこはヨシということになるんでしょうね。

(撮影・中西正男)

■矢部太郎(やべ・たろう)

1977年6月30日生まれ。東京都出身。東京学芸大学除籍。97年、高校の同級生だった入江慎也とお笑いコンビ「カラテカ」を結成する。日本テレビ系「進ぬ!電波少年」の企画などで5つの言語を習得。2007年には気象予報士の資格を取得する。俳優としても独特の存在感を放ち、故つかこうへい氏が手掛けた舞台「幕末純情伝」(08年)、「飛龍伝2010」(10年)にも出演した。昨年10月に出したコミックエッセイ「大家さんと僕」はベストセラーに。父で絵本作家のやべみつのり氏との幼少期の思い出を描いた漫画「ぼくのお父さん」(新潮社)を17日に発売した。